天台宗別格本山 中院
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中院の歴史

天長7年(830)伝教大師最澄の弟子、慈覚大師円仁が、芳道仙人の古跡であった仙波の霊場を天皇に奏上。
あらためて一寺を建立し、星野山無量寿寺仏地院の勅号を賜ることとなりました。

この星野山無量寿寺仏地院が中院です。

伝教大師最澄伝教大師最澄

永仁4年(1296)中興祖師尊海は天台の顕教(法華経)、密教(真言秘密)の教えを広め、関東天台の教寺580余ヶ寺すべて仙波の仏地院に付属し、関東天台の本山の勅許を得ました。
後に、尊海和尚は仏蔵院(北院=現喜多院)、多聞院(南院)も建立します。そして、当山は天台宗関東八箇檀林(今で言う大学院)のひとつとして興隆。

日蓮上人に恵心流伝法灌頂を授けたのも当山です。

人皇106代後奈良院の時、天文6年(1537)北条氏綱が河越城を攻めた際、兵火にかかり当山は灰燼と帰しました。

寛永9年(1632)当山28世尊能が中興しましたが、寛永15年(1638)の川越大火により焼失。翌年の寛永16年(1639)現在地(境内地内)に移動。

享保18年(1733)に本堂を再建しました。

度重なる災厄にも耐え、昭和51年(1976)宗祖伝教大師ご出家得度千二百年慶讃大法会にあたり、当山の歴史と寺域の整備が評価され、天台宗務庁より「天台宗別格本山特別寺」の称号を再び下附されました。

昭和61年(1986)「昭和の文化財釈迦堂」が古い天台様式(比叡山延暦寺西塔の釈迦堂を模す)により建立されました。
平成24年(2012)には、長年懸案だった薬師堂を復興。
堂内に十三仏を祀る永代供養墓(位牌・納骨堂)として建立し、みなさまが当山と新しいご縁で結ばれることを願って、『遊行の会』を発足いたしました。

中院本来の姿である、本堂・釈迦堂・薬師堂の三堂が揃いました。

釈迦堂釈迦堂
薬師堂薬師堂

約1200年前、伝教大師最澄の教えを受けた慈覚大師円仁がもたらした法灯は、今もなお68代続く現住職に引き継がれています。